地震から一年

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2011年3月11日は金曜日で、ふつうに働いていた。すごく揺れたのでさすがにこわくなり、職場の公式指示系統を待たずに、まわりの人達とビルを出たところに降りてしまったのを覚えている。2012年3月11日は日曜日で、家でのんびりして、区の放送にしたがって黙祷した。

私の実家は福島県にあるので、いろいろな人が福島の話をしたり「フクシマ」とカタカナで書いてみたりするのをみると不思議な感じがする。実家は、正直そこまで被害はなくて、お正月に帰ったときもふつうに暮らしているようにみえた。福島県は東西に広い県で、家は原子力発電所からはだいぶ離れている。あいだに山もあるので、計測できる放射線量は低い。

自分もあまり被害は無く、住んでいるところは計画停電の対象区域じゃないし、会社も比較的近かったので3月14日からふつうに働いていた。東京にきていて仙台にもどれなかった家族は少しだけ泊めた。いっしょに FEVER で「あらかじめ決められた恋人達へ」のチャリティライブをみた。いまサイトをみたら昨日もやっていたみたい。ただ、家はそんなに空間的な余裕がなくて、あまり長居はさせてあげられなかった。

斉藤和義の「ずっとウソだった」は歌詞だけ読んで、あんまり同意できなくて、動画はいまだに見ていない。菊地成孔がそれについて書いた文章は良かった。もう www.kikuchinaruyoshi.com は無くなってるけど「菊地成孔 歩いて帰ろう」で検索して Google のキャッシュをたどって Ctrl + A ないし Cmd + A で読める。

反核か反原発かの大きなデモを新宿でたまたま見たこともあった。立ち止まって、デモのひとが話しているのを聞いていたら、同じように立ち止まっていたおじさんに話しかけられた。なにを話していたかはもう思い出せないけど、あいまいな返事をしていた気がする。

原子力発電には未だに強い態度を表明できないでいる。「私は原子力発電に反対します。原子力発電を止めた場合の影響はよくわかりませんが、自分以外の誰かがよしなにやってください。」というのはとても無責任に思えてしまう。かといって情報を積極的にあつめることもしていない。

大学の先生や科学的なバックグランドを持つ人達が楽観的ななかで、昔にインタビューを読んだ GRAPE の牧野先生が、今回の一連の事故について悲観的なことを書いていること、山形浩生が GQ自分のページに書いていたこと、Dalai Lama が原子力発電について反対しなかったことは印象に残っている。